311の原発事故後、私は沖縄やんばるに移住しました。
放射能の影響から最も遠い場所だったからという理由が一番でしたが、もうひとつには、今までの自分の暮らしのままではもう居られないと思ったからです。
地球上のどこに居ても本当に安全な場所は無いのかもしれません。
けれど子供たちの笑顔が目の前にある限り、私たちはあきらめる姿を見せることはできないのです。
一日も早く「命の繋がり」が最優先される世の中になることを切に願います。
UA
原発事故後沖縄に移住した母親を中心に、放射能から身を守ることや食の安全について学ぶための勉強会や情報を共有するためにつくられたグループ“ティダノワ”。 歌手のUAさんも発起人の一人。
そのティダノワが、3月11日に沖縄の名護市で「ティダノワ祭」を開催。 音楽や、食べ物、キッズコーナーの他、内部被爆のことやこれからのエネルギーのことなどいろんなお話も聞けるプログラムも織り交ぜた、未来への希望を発信するとても暖かいお祭りでした。
日本の最南端である沖縄では、今回の原発事故による空気や水の汚染は心配ないとしても、食べ物や肥料などの流通により内部被曝の問題はある、とのこと。 がれきの広域処理の受け入れ問題もあり、日本中どこにいても避けて通れない状況である現実を知りました。
参加してみて一番感動したのは、中心メンバーが若いお母さんたちで、当日も小さなお子さんを抱えて運営されていた姿でした。 UAさんもこのお祭りの成功に向けて、赤ちゃんを抱え奔走されていたとのこと。 これからの未来を担う子どもたちに向けて、希望ある社会システム作りに転換できたのは、1年前の深い悲しみを機に一人ひとりが変われたからだと、将来大人たちが言えるようにしよう、との発言がありました。
嘆き悲しみ不安に暮らすのではなく、一人ひとり前進する歩幅は違えども、目の前の子どもたちと共に、希望ある未来に向けて何ができるかを考え続けることはあきらめたくないと思います。