昨年12月、茂山千之丞さんによる 「狂言のいろは」 講座でお話しをお聞きしました。
テーマ 「狂言の登場人物たち」
狂言では原則的に固有名詞はなく、能や歌舞伎などのように歴史上の偉人達が主人公にはならない。
狂言の三分の一は 「このあたりに住まいする者…」 という名乗り(自己紹介)から始まり、どこにでもいるような庶民が主人公。
「このあたり」 というのは特殊な所ではなく、今まさに狂言が始まろうとしている場所を指すのでは?と思えるほど、狂言は今現在を昔のカタチを使って表現されている舞台なのです。
よく耳にする、召使いを表す「太郎冠者(たろうかじゃ)」(太郎も固有名詞ではなく、一番上のということ。二番目は次郎冠者、三番目は三郎冠者。)と主人との関係は、江戸時代のような主従関係ではなく、対等な関係。主人も大名であっても家来が一人かそこらの、おそらく成上り者の庶民で、太郎冠者をとっても頼りにしています。
太郎冠者は愚か者ではなく、常識人でちょっとした欠点をもっている。
誰もがもちえる欠点を上から見下ろす笑いではなく、同じ目線での笑いが狂言にはある。
この世を肯定し、その日その日をまじめに生きている人たちが登場する、人生を肯定してゆく世界を表現するのが狂言の本質。
誰もが大らかでデモクラティック(民主的)な時代にうまれた舞台だからこそ、現代の人々にも愛され続けているのでしょうと語られていました。
舞台セットもほとんどないシンプルな狂言は子ども達にとって 「ままごと」 と同じ。
既成概念のない子ども達だからこそ、お話しの世界に自然に入り込み狂言を楽しんでくれますよ、とのこと。公演が楽しみです。